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2014年05月19日 (月) | Edit |
弥海砂@DEATH NOTE
撮影:鴉さん

「信じる」「肯定する」という一見前向きで善行っぽいことが
世間的に誉めそやされ受け入れられ易いってことは知ってます。
でもわたしは特に考えもせず安易に信じたり肯定したりする人が嫌いです。
漫画「ライアーゲーム」の中で、わたしがとっても好きな場面があります。
人を疑ってしまったことに罪悪感を抱く直に、秋山が語るところ。

「多くの人は誤解しているけれど、人を疑うとはつまり
 その人間を知ろうとする行為なんだ
 『信じる』その行為は紛れもなく高尚な事だ……
 しかしね多くの人間が『信じる』の名の下にやっている行為は実は

 他人を知る事の放棄

 それは決して「信じる」行為ではなく……無関心
 無関心こそ疑うよりはるかに忌々しい行為である事に
 多くの人間は気づいていない

 俺はかつてとある巨大マルチを潰したときに
 その内部の多くのひどい人間を見てきたよ
 だがマルチで最もタチが悪かったのは
 いい事をしていると思いこんで、結果、人を騙している人間の多いこと
 そいつらには人を騙しているという自覚が全くない
 なぜならそいつらは、自分のせいで相手がどれだけ苦しむかを
 想像することから逃げている
 完全な思考停止、究極の無関心状態だ

 疑うことは決して「悪」じゃない
 本当の「悪」は――他人に無関心になる事なんだ」

「他人を知ることの放棄」って言葉は、ああ違和感はこれだったのかぁ、
って目の前が開けた気がして、とても好きなエピソードです。
でもライアーゲームのルールが理解できなくて、
漫画は何となく楽しんでます。(椅子取りゲームだけは何とかわかった)
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